新年1本目の記事です。2021年、がんばっていきましょう!今回は、
消費と創造は表裏一体ではあるが、消費にのみ没頭した消費豚(オタク界隈では消費だけして発信しない人はこう蔑まれるそうです)は、永遠の不幸を彷徨うというような正月明けにまったく相応しくないが、真剣な内容です。
緊急自治宣言が濃厚となり辛い状況の人も多いかと思いますが、年末年始のお休みで大量にコンテンツを
消費した人が多かったと思います。私も、
・アニメたぶん5作品くらい
・映画2作品
・m1やバチェロレッテなどのアマプラで配信されてるバラエティー
・本
・ゲーム
などなど、コンテンツを大量消費する豚となっておりました。その中で、面白かった作品に、
「冴えない彼女の育て方」といういかにも萌え豚コンテンツ丸出しのタイトルのアニメがありまして、実はこの作品、私が恋愛ものNo.1脚本家と崇拝している「丸戸史明」氏のライトノベルのアニメ化だったのです。実はライトノベルは生涯1冊も読んだことがないので、詳しくは知らないのですが、上記「冴えカノ」は2010〜2020の萌え豚コンテンツの最終形態であったという感想を抱きました。初めて読んでみたいと思いましたが、ぶっちゃけラノベってエロ本より買うの恥ずかしいですよね(通販で買えばいいのですが)。で、そのメインメッセージは、
「ヒロインは可愛い」という身も蓋もない内容で、それを理詰めの脚本で見事に表現しきった、いや表現し過ぎてしまいコンテンツの夢から醒めたら逆に見た人全員不幸になるやろ的ないわゆる「耳をすませば」類系の極致にある作品なのですが、この話の中で暗に発信されているもう一つの大切なメッセージが心に残りました。それは、
「消費豚であるうちは、お前の元にヒロインは現れない」
という、当然といえば当然だが、知らないうちにその事実を忘れてどっぷりコンテンツ消費に走りドラッグのように抜け出せない状態に陥っている若者に気づきを与える内容になっていました。ここで出てくる先輩の女性は、丸戸氏の分身のような感じなので、その先輩の発言の節々には、
「クリエイター側に来い。来ないなら一生不幸のままだよ」
というメッセージが辛辣なセリフというオブラートの下にあるように感じるのです。で、これは紛れもない事実だという話を今回はしたいのです。
〈なぜ消費豚は不幸なままなのか〉消費行動には、一定の満足感があります。そのために消費しているといってよいでしょう。しかし、消費という言葉通り、一度取り入れたコンテンツは、やがて味を失うか消えるかしてしまいます。
・一つのコンテンツには一定の期限があるということです。コンテンツの消費期限が早い物から遅い物と様々ではありますが、永遠ではないからこそ、次々と新しいものに興味がわきます。何々ちゃんは俺の嫁!みたいに心底入れ込んでいたアニオタが、次のシーズンで早速他の嫁を見つけていたり、次々と推しメンが変わるドルオタなどがいい例です。そして、新しいものに手を出す原因は他にもあります。
・一つのコンテンツは物であれ人であれ本当の意味では消費者は掌握できない例えば私は丸戸氏の「White album2」のアニメがとても好きで、一番好きくらいなのですが、この続編は私がいくら望もうが出されるかどうかはクリエイター次第なのです。アイドルにしても、その人と結婚なり恋人なりの先の関係まで行ける人はゼロではありませんが限りなく少ないです。関係性を進めている場合は大抵クリエイター側にいる人たちです。割合で出したら99:1くらい差だと思います。好きなバンド、エレカシをどんなに望んでもボーカルがソロを満喫している間は新作は出ないのです。旨さを知ったからこそ、それがないと永遠に満足できない身体にさせられてしまった状態のです。
この「期限と掌握」という点から、消費豚はコンテンツから得た満足感と引き換えに永遠に消費し続けるしかない状態へと、実は追い込まれているのです。まどマギでいうソウルジェムのようなものです。天気の子でいう100パーセント晴れ女の能力みたいなものです。
〈では創造すれば幸せになれるのか〉ここがポイントです。創造するには、
生みの苦しみコンテンツを消費しきった状態の不満足よりもはるかに辛い苦しみを味わうことになります。普通に生きるならリスクマネジメントの心理から適度に消費しながら生きるのが最適解なのです。しかし、ここでバチェロレッテのおまいう台詞の代表である、
リスクマネジメントやめない?という悪魔のささやきかつ天の啓示ともいえる心理のなかで、後者であると気づいた人たちだけがきっと誰の心の中にもある、
やはり自分の満足いくものを作りたいという情熱を強い意志と勇気で、クリエイター側に立つのだと思います。
その結果、苦しみの末に力尽きるか苦しみを乗り越えて真の満足感(=期限がなく自分で掌握できる状態)を得られる、ということなのだと感じました。
最初に戻ります。冴えカノの主人公はネットでは結構嫌われていますが、
「強い意志と勇気」で消費豚ないし消費豚とクリエイターの橋渡し的ブロガー、というポジションから、クリエイター側に向かい真の満足を得た結果、私生活でも棚ぼたで真のヒロインを得ることになったというような話だったように思うのですが、みなさんはどのように受け止めましたでしょうか。
私個人の結論は、
「創造しようとすれば、永遠の不幸から逃れるきっかけにはなる」
バチェロレッテの芸術家である杉ちゃんは、リンゴの木を植えることに意味がある、その先のことはわからないけど、的なことを言っており、それを理解できなかったバチェロレッテの人は、杉ちゃんとの先の結果にばかり目を向けて杉ちゃんを振ってしまい、きっと今も永遠の不幸の中を彷徨っているように感じます。結果や成果ではなく、
創造しようとすることにこそ意味があるというようなメッセージを一流の芸術家というクリエイター的には頂点にいる人が発していることからも、創造にはそういった力があるのではないでしょうか。私は男なのでわかりませんが、出産に伴う苦痛はその瞬間よりもその覚悟が決まるまでが一番苦しそうであり、覚悟が決まった時からそこに愛が生まれているように思うのですが、どうなのでしょう?経験者にいつか聞いてみます。
〈今回の結論〉コンテンツと適度な距離感を健全に築くか、消費豚という蔑称を受け入れて永遠の不幸を彷徨うか、創造に向かって強い意志と勇気を振り絞ってみるか、人生の選択肢はおよそこの3つなのだと気づいたお正月でした。
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posted by Paoon at 17:19
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